デジタルファブリケーション

近年、arduinoRaspberry PIといった安価で手軽に始めることができるマイコンボードが多くなっており、
シンプルに「基盤とか触ってるとワクワクするよね」という物理的欲求から
arduino UNOおよび心拍センサや赤外線センサを買って、
aruduino + processing + WEB RTCで面白げなものをつくってニヤリとすること、
みなさん、あるかと思います。(ねーよ、という方も気にせず以下お進みください)


ちなみにGoogleトレンドによる検索数推移だと、
もともとarduinoが先行してましたが、直近ではarduinoとRaspberry PIが同じくらい検索されているようです。
※下記は日本の検索数推移ですが、全世界でも同じような傾向でした。
※私はarduinoしか触ったことがないですが、どちらがよいのでしょうね??



さて、arduinoはじめデジタルファブリケーションについて、リファレンスを見て一通りいろいろ試したものの、
なんだか取り急ぎ満足してしまい、「これから何を作ろう」、と途方にくれ、
気づけばブレッドボードの組み方も忘れ、
後輩から「先輩、arduinoやってましたよね、CdSとLED組み合わせてこういう回路作ろうと思うんですけど、
どれくらいの抵抗はさんどけばいいですかね?」とアドバイスを求められているのに
「君はどう思うの?」といったまったくミーニングレスな回答をせざるを得ないこと、
みなさん、あるかと思います。(私です)

そんな反省からデジタルファブリケーション迷子にならないために、視座として持っておくとよいのではと思われることを、
最近たまたま読了したファブリケーションとは一見遠い、下記本から
いくつか気になったフレーズを備忘録がてら引用したいと思います。



この本は、いくつかの物理方程式の解説はもとより、「何故そのような法則を発見するにいたったか」の
ヒューマンドラマの連なりに主眼がおかれているように思います。

そのドラマの中で感じることは、
“どの方程式も起源は人間にある。ある時ある場所にいて、その必要性を感じ、
物事の意味を理解したい、あるいは、絶望的なまでに複雑に見えるものを少しでもわかりやすくしたい”
(P.15)

“しかし、自然の書物というイメージは今日のわたしたちを悩ませる。
その理由のひとつは、それが一貫性のある究極の真実-完璧なテキスト、すなわち
「最終理論」-が存在することを暗に意味していることにある。
これを信じている科学者が大勢いるかもしれない一方で、これは結局はひとつの信念に過ぎず、
それよりもむしろ、わたしたちの概念や技術が進化し続けるのに応じて、
わたしたちは自然のなかにますます多くの事柄を発見し続け、
その仕事には終わりはないという可能性のほうが高い”
(P.97)

ということであり、方程式は創造的でエモーショナルなプロセスなのだということです。
センサからのデータについても単なるデジタル信号ではなく、人間や自然の営みから生まれるもので、
そこから導く法則(方程式やビジュアライズ)も人間が「暫定的なわかりやすい理解のために」
生み出していくもの、ということかと思います。

さて、そこから本書は古典力学はじめ、熱力学、電磁気学、量子論と進んでいくのですが、
だんだん理解がハードになっていきます、。
それは、徐々に扱われる方程式の「リアリティー(視覚化可能性)」を捉えることが困難になり、
かなりの集中力、イメージを持って読者も本に対峙しなければならないためです。

シュレディンガーは自分の波動方程式に
“虚部があるということは、波動関数は直接観察できない位相がある”
ということに頭を悩ませていたようで、つまり
“それを「リアリティー」として見ることはできないということだった”(P.356)
とあります。

マクスウェルにしても
“「リアリティー」を捉えるために、古典力学的な説明を放棄しなければならないこともある」”(P.382)
という姿勢であり、ハイゼンベルクも
“撤回しなければならないのは、視覚化可能性ではないだろうか”(P.382)と考えたようです。

目に見えない現象を扱うということは、イメージの世界なわけで、
それがいかに集中力を要するプロセスかということは方程式を数学的に追体験するだけでも感じることができます。

つまり、
“方程式は、血まみれの戦場や、巨大な政治勢力の衝突の只中で登場することはない。
むしろ、集中力をそぐものや邪魔な闖入者とは無縁な書斎や図書室など、静かな場所で出現するのが普通である”
(P.13)
ということであり、
“精神を完全に集中させれば、人間にはこれだけのことが成し遂げられるのだという証拠”(P.102)
に、ただただ感嘆するのみです。。


つまり、
「自分はどういった現象(直接目に見えるもの見えないもの含め)を明らかにしようと思い、
どういった”イメージ”あるいは”メタファー”(これが一番本書で大事だと思われる部分)でそれにのぞみ、
少しでもわかりやすい構造の理解に精神を完全に集中する」
という姿勢をデジタルファブリケーションにおいて
持っておくとよいのだと思います。(白目でスマホいじりながら。※とにかくスマホが集中の天敵ですね。。)


日々の集中の深さと持続力を計測出来るデバイス作成は面白いかもしれませんね。
日常の集中力をずっと脳波で計るわけにはいかないと思いますので、何で代替するか次第でしょうか。。